Tunisiaガイド -9ページ目

国交五十周年

今年、2005年で日本とチュニジアの交流が始まってちょうど50年になるそうです。
50年前、1955年だとワルシャワ条約の成立、ベトナム共和国の成立等が大きな物でしょうか。当時、日本の首相は鳩山一郎氏で外務大臣は重光葵氏。
そして1956年にはチュニジアがフランスより正式に独立をはたしました。
西暦から見ますと50周年記念は来年ではないかと思うのですが植民地からの独立への期間も含めてなのでしょうね。
まあ、そんなわけで今年は色々なイベントがあるとか。
日本にある在日チュニジア大使館の方でも色々やっているみたいですね。
こちらでは、26日(土)にもブルギバ通りにある市立劇場でイベントがありました。写真はその市立劇場の正面から取ったものです。
その詳細についてはまた後日。

三毛の猫

市場の中の肉屋さんの前に居た猫。
三毛なので多分女の子でしょう。
見ての通り一風変わった配色でした。

そうそう、どんなに可愛くてもやっぱり野良、どんな病気を持っているか解りません。
目の前でお腹出されてゴロゴローン、とされても理性で押し留めて触らないように。
負けそうになったら逃げる事をお勧めいたします(笑)

最後の手紙

ドアがノックされ一人の男性が部屋に入ってきました。
「日本人は居ますか?」
名乗りは上げなかったけれど、残念ながらその時建物内に居た日本人は他に居ませんでした。
何か頼み事があるらしく、出て行くと一枚のFAX用紙の様な物を渡されました。
書かれているのは日本語。
元の紙はホテルアブナバススファックスの備え付けの物でした。
用件は、これを仏語か英語に直して欲しいと。
特徴的なその名前には見覚えがありました。
署名に添えられた日付は一月末。
それは選手団の人からのお礼の手紙でした。


もう少し早い時間だったならば私よりも遥かに上手に翻訳できる人が一杯居たのですが私では意味を伝えるだけで精一杯。
確実に日本人が居る所としてここを選んだ事は正しいのですが時間が悪かった。
私も彼も本当にツいていない。

積み上げたくなるお砂糖

角砂糖はとても安く、この一箱で約600ミリウム(≒54円)。
ただし、量が尋常じゃなくあります。
一箱に225個みっしりと詰っています。
一般家庭でどうやってそんなに大量に使えというのでしょうか。
無論、個包装などされていませんので開封しましたら砂糖ポットへとしまいました。
ちなみに普通の小分けになった角砂糖が売られているのは見た事がありません。
ブロック代わりにピラミッドでも作って遊べそうです。
結局、買ったは良いのですが砂糖壷に入りきりませんでした。
蟻が来ませんように……。

ポリスボックス

チュニジアでは警備の必要な建物の前にポリスボックスが配置されています。
以前本で読んだのですが日本でも大臣宅などの前には配置されてるとか。

一晩中、あの箱の中で過ごすので30代前半までの若い警官しか居ないそうです。夜は確かに凄く冷えます。
とあるユダヤ教教会の前に入っている人はその年齢以上に見えるので昼は違うのかもしれません。もしかしたら老け顔なだけかもしれませんが。

交代の時間になると窓に金網のついた大型自動車(ワゴン等)が人を運んできて交代して行きます。

……しかし、何であの色なんでしょうね?
多分、チュニジアの国旗カラーなんだと思いますが最初は食い倒れ人形と同じ縞模様だなあ、としか考えられませんでした。
あれは手塗りなのでもっと槁の細く人形の槁にタイプもあります。

そうそう、この写真ではちょっと解りづらいのですがこの箱の入り口(?)も以前に、扉の形で書いた物と同じ形をしています。